「すずめの湯は人が入ると喜びます」
地獄温泉清風荘の河津社長はそう言った。
私はそれを、久方ぶりにこの地へ集まった客たちへの歓迎を表すポエジーな表現なのだろう、と思っていた。
2017年4月17日。地獄温泉が災難にあってから1年目。
奇跡的に残った地獄温泉の「すずめの湯」に入れるという『ボランティア』の募集、平日だというのに人々が集まった。
テレビクルーや新聞社の人もいる。
そして断続的に強く降る雨の中、久々に出会う懐かしい地獄温泉の姿は……かろうじて母屋の外観は保っていたものの、敷地内は無残に変わり果てていた。
崩れた家屋は泥に埋まっている。そして室内まで、外の続きのように泥の床が続いている。水たまりまである。
がれきの向こうで、山桜が、花びらを散らす。誰も愛でる人はいない。
私にとっては、こんな生々しい爪痕を、自分の目で見るのは初めてだった。ゆえになんだか、テレビの画面越しに見ているような非現実的な感じがした。
自分が泊まったり利用したりした時の記憶と一生懸命マッチングさせようとした。
私が泊まった安いほうの客室は見事にぶっ壊れている。敷地内がやたらにぬかるむ。前は雨が降っていてもこんなに歩きにくくはなかったはず。
よかった、曲水庵が無事。だけどその奥、露天風呂があったあたりには、あったはずがない土砂が見えている。
二度の地震に襲われた地獄温泉。崩れた山で道路が寸断された。
ヘリコプターでの救出活動はまだ記憶に新しい。この地震の衝撃で、敷地内の建物は傾ぎ、歪んだ。
だが、大破はしなかった。少なくとも地獄温泉の敷地内にある温泉は無事だった。
「元湯を再開させようと思って、きれいに片づけて、お湯まで張った」矢先の6月に豪雨による土砂崩れが襲った。
「上から流れてきた水が、元湯から宿泊棟を通って、母屋の中を轟々と流れていきました。こう、流れてきてあっちの広間から出ていきました」
母屋での惨事を河津社長は淡々と語る。
このままだと明治時代からの母屋が台無しになる。水の通り道である元湯との間を急きょ壊して、流れを変えた。この建物の隙間からは、桜が見えている。
今、母屋には泥がない。石張りの部分に水が流れた痕跡はあるが、きれいに片づけられている。
あれだけの泥水が流れた後には、やはりここにも泥がこってりと残った。泥はそのままにしておくと、土台や柱をダメにしてしまう。それを片付けたのは1000人規模のボランティアだ。
スコップがささらないほどの密度の詰まった嫌な泥を、小さなコテを使って学生さんたちが一生懸命少しずつ少しずつ掻き出した。床の下に潜り込んで毎日。
「一度泥に埋まった柱は泥をきれいに落としてから、さらに拭き上げました。それでも心配でアルコールで消毒もしました」
復興する際は、この母屋は必ず残したい。そんな思いが念には念を入れさせた。
そう思った理由の象徴を見せていただいた。
客室の床の間からベニヤの外張りがはがれて土壁が見えている。
「僕たちは、このベニヤの部分が古いんだと思っていました。だけど、地震のそれが剥がれて、さらに下から現れたのがこの壁です」
竹と土で緻密に塗りこめられた壁。その昔は漆喰で仕上げられていた。どこにもボルトや釘で固定されていないから、逆にあれだけの揺れを「いなして」耐えた。ベニヤの裏で息づいていた昔の職人の技。
「この壁を見つけて、ここは壊せない、守らなければと思いました。本当はすべて壊して建て直すほうがずっと安く上がるのですが(笑)」
社長の頭の中には、すでに復興プランが描かれているが、そこにはこの母屋は欠かせない。
地震と土砂災害の爪痕を説明していただいた後は、お待ちかね「すずめの湯」との再会だ。
いつも使っていた石段は崩れてしまっていたので遠回りをする。上には、崩れた湯治棟がある。これももうダメだという。湯治棟は建て直さないのか、と聞いたところ「5室は再建したい」とのことだった。
母屋方面は、再建後は昔の造りを活かしつつ、広いベッドルームにするなどして、宿泊の質をあげるという方針と聞いた。すなわち、サービスを上質にして、宿泊単価をアップすることで地震によるマイナス分を取り戻すということである。
経営としてはもっともなのだが、これだけ効能ある濃い湯の温泉を富裕層専用あるいは記念日専門的な存在にするのは、少々寂しいなと感じていたところだったので、湯治棟も復活する、というのはとてもありがたい話題だ。
雨の中、久々に会う「すずめの湯」のぬるめ浴槽は青く沈んでいるように見えた。
こんな色で見るのは初めてだ。昔はもっと白く、グレーっぽい感じだった。
「すずめの湯」は熱めとぬるめの2つの湯船が並んでいる。熱めのほうは、危険ということで入れなかったのだが、その熱めのほうは、ボコボコと景気よく湧いていた。だが、私たちを受け入れるほうの「ぬるめ」のほうは青っぽい色でおとなしかった。冒頭のセリフはこのときに発せられたものだった。
「すずめの湯」は足元湧出、つまり掘らずに底から湧いている生粋の天然温泉だ。
それゆえに人が入らないと、鉱泥が湯船の底に沈殿し、湧出口をふさいでしまい、沈黙する。
人が入ることで、鉱泥が舞い上がり、湧出口が開いて、ボコボコと勢いよく湯が湧く。これを河津さんは「湯が喜ぶ」と表現したのだった。
さっそく水着に着替えてすずめの湯へ。
私が愛用していた男女別の内湯も利用できたのだが、こちらは熱すぎて表面を「かけ湯」に利用するのがせいいっぱいだった。
ありし日は、裸での混浴の湯だったが、この日は男女ともに水着を着用しての入浴。
裸での混浴に臆していた私は、露天の「すずめの湯」に入るのはこの日が初めてだ。
「わあ、ふわっふわ」
湯船の底に積もる鉱泥が足をふわっと包む。この感覚。なんともいえない優しい感覚だ。
(なお、再建後は湯あみ着着用での混浴にするとのこと)
「こっちに、もっと泥あるよ!こっちこっち」
一人で参加した私なので、そこにいる人はみんな初対面。
なのに、すずめの湯に入ると1秒で、みんな親しい人に変身してしまった。
底からすくった泥を顔に塗ったくって嬉しい顔してるおじさんたち。
写真とりますよ~、というと
「わ~ちょっと待ってお化粧直しするから!」といってわざわざ泥を顔に塗りなおしてくれた。
赤くなった肌に、舞い散った桜の花びらが1枚はりつく。
「見てみて、桜色の肌に、桜の花びらがついた!」
「いやいやそれは桜色じゃなくて、真っ赤だわ」と笑いあう。
すずめの湯には硫化水素ガスが豊富に含まれており、入浴すると毛穴から吸収されて血流をよくする。
ゆえに、温泉熱だけよりも赤くなるスピードが早い。そして早く温まる。
区切られた湯船をまわりながら、体を冷ますのがちょうどいい。
「ここはいつも『ヌシ』がいて普段は絶対に入れないんだよ」
という、常連席も今日はあいていて、お湯がボコボコ湧いているのが見える。
常連席のところにある木を枕にすると「すずめの湯」のつぶやきが聞こえるんだという。
私も耳をつけてみた。まるで「風の谷のナウシカ」の1シーンみたいに「すずめの湯」の音が聞こえた。癒しの響きだ。
さっきまで降っていた雨がいつのまにかすっかり止んで明るくなっている。
人々の笑いさざめきにあわせて桜吹雪まで湯の上に舞う。そしていつものグレーに戻ったにごり湯の上に小さな花筏をあちこちに作った。ボコボコと湧くリズムで花筏が湯の上を滑る。
すずめの湯が、本当に喜んでいる。地獄温泉が、天国になった。
名残は尽きないが、時間が来た。
湯から上がって服を着て、すずめの湯を後にしようとしたとき。
いきなり雨が再び降りだした。湯に入っているときは止んでいた雨が、帰ろうとしたとたんにザーッと音を立てるほど激しく降り出したのだ。
さっきまで喜んでいたすずめの湯が、「行かないで」と泣いているように思えた。
地獄温泉のすずめの湯が、再び今日のような天国になる日。それにはまず道路の復旧を待たなくてはならない。だけど、きっともうすぐだと信じたい。
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所在地:熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽2327
TEL:0967-67-0005 ※現在使えません
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※後記
実は、不注意な私は、裸足で噴気を踏み、足の裏をやけどした。
ヒリヒリして歩くのも難儀だったのだが、水もないので冷やす処置もできず、そのまま靴下を履いた。
靴下を履くときも相当痛く、これは水膨れレベルだろうなあ、と覚悟した。
だが、自宅に帰った頃には「やけどドコいった?」というくらい痛みもなくなり、やけどした場所もわからなくなっていた。硫黄には炎症を抑える効能があるが(ゆえにニキビに効く)、すずめの湯の濃厚な硫黄を実感した出来事だった。