別府市の繁華街の路地裏に佇み100年以上愛されてきた梅園温泉。2016年の熊本地震で壊れたその温泉が、ついに2018年12月12日、2年半余りの年月を経て再建し注目を集めています。どのようなストーリーがあったのでしょうか?
梅園温泉があるのは別府市の繁華街。昭和の雰囲気を色濃く残すレトロな街の路地裏のまた裏とといった所でしょうか。路地の狭さは日本一だそうです!創業は1916年。100年もの間温泉ファンや地元の生活のお風呂としても愛されてきた温泉でした。
写真:2年半の歳月をかけ、地震から見事再建した梅園温泉。
2016年4月の熊本地震によって建屋が傾き、取り壊しを余儀なくされた梅園温泉でしたが、2016年6月には梅園温泉再建検討委員会を設立し、再建に向けて動き出します。現在の梅園温泉組合長、平野さんにお話しを伺いました。
地元利用者の寄付、県内外の梅園温泉を知っている方に寄付金の呼びかけ、中心市街地のお店に募金箱を設置してもらったり、クラウドファンディングも活用。総事業費は1700万円。そのうちの620万円を寄付などで全国各地500人から集め8月に工事着工。残りは市の貸付金や無利子貸付金などを活用したそうです。
写真:「山は富士 海は瀬戸内 温泉は別府」にちなんで、富士山と瀬戸内海の描かれた昭和のタイル画を張り付けてある。
ただ、すんなりと資金が集まった訳ではありません。目標金額が最低500万円と高額だった為、多くの人に寄付金を呼びかけなければなりませんでしたが、思うように再建費用が集まらず、また再建まで約2年半と期間も長くなったために、再建の熱意やモチベーション維持し継続して活動を行うことが非常に大変だったそうです。再建後の運営や経営等についても、地元関係者・行政等と時間をかけてたくさんの協議が必要でした。
けれども、苦労の後には喜びもついてきます。100年続く路地裏の秘湯「梅園温泉」を再建するという目的のために多くの地域の人や別府八湯温泉道名人会等の支援者が一体となって活動できた事。完成後多くの人から「再建おめでとう」「本当によかった」「もう入れないと思っていた」などの多くの喜びの声をもらえた事。
写真:復活した共同温泉に喜びもひとしお。
最初考えてなかった気付きもあったそうです。別府市内には同じような共同温泉が約100カ所あり(!)どこの温泉も建物の老朽化や経営者の高齢化、若者の共同温泉離れなどの課題を抱えてるが、今回の梅園温泉の再建が次世代に残す為の他の共同温泉再建、そして運営のモデルケースになるのではとの事でした。
写真:梅園温泉竣工式であいさつする平野芳弘組合長
温泉が再開したのは2018年12月12日、11時26分。本当は「いい(11)風呂(26)の日」に合わせて11月26日に竣工したかったそうですが、工事の関係でどうしても間に合わず、ただどうしても「いいふろ」にこだわりたく11時26分スタートにしたのだとか。年末年始には、遠く長野県や海外からも温泉復興のニュースを聞いて、わざわざ梅園温泉に入りに来てくれた人もいたそうです。寄付金一覧板に自分の名前を見つけ、感極まって涙を流す姿もあったそうです。
写真:建物の外には足湯と飲泉場が新たに設置された。
新しい建屋は、半楕円形の浴槽に男湯は6人ほど、女湯は8人ほどが同時に入るかることができます。入口にはスロープを設置し、バリアフリー仕様になっていて、建物の外には足湯と飲泉場を設置。
建物のデザインはレトロな雰囲気を大切にして昔の看板デザインを設置したり、浴場には梅園温泉をイメージするために、平野さんの10年近くかかって収集した小皿コレクションを寄贈。暖簾の字は、平野さんの友人で北京在住の書画家楊建華先生にボランティアで描いてもらったもの温泉内の掛け時計やタオルマット、イス、脱衣籠、洗濯機、トイレットペーパー等も寄付で揃えられたものだとか。
写真:古き良き昭和の面影の色濃く残る看板。
また最近は別府にくる外国人が増加しているため、入浴マナー表示を英語をはじめ6か国語の多言語表示漫画で表示。この多言語の翻訳は地元APU立命館アジア太平洋大学の留学生に協力してもらっているそうです。本当にたくさんの人たちの力が集まって、梅園温泉が復活できたのですね。
別府の奥深さを体感できる共同温泉。別府に行ったら是非足を延ばしてみたいですね!
(まとめ・文:すてぃーぶん)